僕個人が想うロカビリーやバンドの魅力"RYO NAKAYAMA"

-僕(RYO NAKAYA)が音楽をはじめた理由ー

まずは、個人的な話からになりますが、その後、ロカビリーのルーツや音楽の根本的な部分に触れていきます。

夜な夜な、昔の思い出を振り返り、記事に残しておこうと…。内容はこれまでの経緯、ロカビリーとの出会いと、どこまでも続く巡り合わせ。

最後の最後に、音楽で得た大切な事や出会い。

音楽をやってる人からしたら"あるあるな話"も含まれているかもしれませんが、ご興味のある方は読んでいただけたら幸いです。

はじめからロカビリーやパンク、ハードコア等の方向にいく人もいますが、はじめは案外そうではない人も多いのでは?

僕が音楽をはじめたきっかけは…

18歳、今から10年ほど前。原宿で知り合ったパンクスの先輩から僕はパンクを教わっていた。まず、パンクの魅力にのめり込んだきっかけは、メジャーアーティストである黒夢…SADSの"清春"さん。カリスマロッカーでありファッション雑誌なども飾る清春さんは、ヴィジュアル系ながらもストリート系やウエスタン、民族系など常にファッションスタイルを変化させていて、その中にパンクファッションの時期がありました。

革ジャン、鋲ベルト、白いラバーソール、そして金メッシュの長髪という組合せ...。
そのヴィジュアルロックの美しさと初期パンクのような荒っぽさのミックスにやられました。
そんな清春さんの影響で、ロカビリーの前にパンクへと向かいます。
いつものように原宿へ行くと、先輩が友達を1人つれてきていた。腕に竜の刺青が入った、僕の三つ上くらい。はじめましてと挨拶すると「よろしく!おれバンドやってんだ!」「へぇ、何人でやってるんですか?」「オレだけ!」「!?」「ロカビリーって知ってる?一緒にやろうぜ!」「!!?」

わけがわからなかったが、その、わけがわからない具合に僕はやられてしまった。

普通1人だったら"バンドをやりたい"とか言うもんだが、その人は1人だろうが"バンドやってる"と言い切っていた。僕はまだロカビリーも知らなかったし、バンドを組みたいとも思ってなかったけど、心が"やるべきだ"と言っていた。

そこから僕はその人に原宿にあるロカビリーの老舗"Cream Soda"へ連れてってもらったり、一緒にライヴを見に行ったり、ロックンロールな彫師さん"YUSHI"さんを紹介してもらったり...
その人との出会いが、僕のロカビリー人生の始まりでした。

○初めて組んだ、ロカビリーバンドとウッドベース

初めて組んだバンドは三人編成のネオロカビリーバンド。原宿で出会った刺青の男がギターヴォーカル、ドラムは僕の友達を半ば無理矢理加えて、あとはベースがいれば出来んじゃんって事で僕はベースになった。ロカビリーと言ったらウッドベース!実際にはエレキベースも沢山使われているのだが、そんな事も知らない僕は譜面も読めないままウッドベースを買った。とにかく一番安くて黒いウッドベース。

バンド名は"Lover Soul"

急に馬鹿デカい楽器が家に来て妹は驚いてた。

ちなみに黒にした理由は僕が最初に「ロカビリーってかっこいい!」と思ったバンド"SORROW"が黒いウッドベースだったから。サウンド的にもロカビリー、R&R、パンクなど様々なジャンルを取り入れた唯一無二なバンドだった。

木目柄が一般的なウッドベースだから買ったら塗ろうかと思っていたが、格安でしかも黒。楽器の質以前に弾き手が大事!とか生意気にも思っていた僕にはピッタリのベースに出会えた。

○ロカビリーは感覚...?不思議な楽器ウッドベース

ウッドベース、吹奏楽やクラシック界隈ではコントラバスと呼ばれる楽器。
なぜかロカビリーやサイコビリーなどではウッドベースと呼ばれて、弓を使わない独特の奏法で演奏されます。

そもそも、ウッドベースはエレキに対して生楽器なので、バンドで音を鳴らすにはピックアップを付けなくてはいけない。アコースティックならいいが、基本的にはマイク、エレキギター、ドラムの音に負けるからだ。

案の定はじめてのスタジオ練習ではぼくの音だけ全然聞こえない...。おまけに張られていた弦もロカビリー向けではない硬い弦だったので指や床は血まみれ。

お気に入りの"白いラバーソール"はダルメシアンみたいになっていた。
まずはウッドベースのセッティングの見直しから始めた。

ロカビリーの特徴とは?そもそもロカビリーとは何か?

ロカビリーは弦を叩きながら弾く“スラップ"奏法をよく使います。弦を弾いて鳴るベース音と、指板を叩いて鳴るスラップ音を交互に鳴らす奏法。
弦楽器ながらパーカッション的な打楽器の要素もふくんだ奏法なのです。

これには、指が弦を引っかけやすい高さと、指板を叩き易い低さの絶妙な弦高、弦事態の硬さやテンションも重要になるのです。

スラップ奏法の為にウッドベースを改造するロカビリー、サイコビリー奏者は多く、スラップ音を出す為に駒を低く削ったり、指が入り易いように指板を削ったり、おそらくクラシックなどの界隈ではあり得ない言わば"魔改造"をするのもロカビリーの特徴です。

クルマやバイクに例えるなら、フレームやボディーをぶった切って改造するチョッパーやホットロッドに近い思想ですね!

僕はとりあえずスラップし易いようにチューニングを緩めてみたりしますが、当然曲によって弾きにくくなるので断念。

音量問題は、fホールやブリッジ付近にマイクを立ててみたりするも難しく、ロカビリーに適した改造と機材を集める事を決めました。

そして、福生の老舗楽器店"CAT ROCK"との出会い

当時、ロカビリー向けのピックアップや弦は種類が少なく、取り扱ってる楽器屋も少なかった。

細かく説明すると...弦には主にスチール製、ナイロン製、ガット製があり、それぞれ硬さや太さ、それに伴い音の伸びや丸み、立ち上がりが違います。

ピックアップも弦によって適合しない物もあり、スチール弦にはマグネットタイプと呼ばれるエレキ楽器に搭載されるタイプしか音を拾いません。その分、エレキに近いハッキリとしたソリッドな音作りがしやすいのがメリット。

ナイロン弦とガット弦に関しては、ピエゾタイプと呼ばれるボディや駒から音を拾うピックアップが有効。

短いサスティーンと、硬くなりにくく程よくぼんやりとした丸みのある音が特徴で、ヴィンテージサウンドを作り易いです。

ネオロカビリーにはソリッドな音が欲しかったので、まずは柔らめのスチール弦+マグネットタイプのピックアップというセッティングに決めました。
しかしそれらはロカビリー向けのマニアックな機材なので、探すのは困難だろえと思いきや、奇跡的に福生に探していたロカビリー向けピックアップを取り扱ってる店を発見!
その名も"CAT ROCK"...なんとなくロカビリーっぽい。

それもそのはず、後に話を聞くとオーナーはピックアップの職人と楽器屋修行時代からの仲だそう。
楽器に無知のままロカビリーの世界に飛び込んだ僕は、福生CAT ROCKで色々なアドバイスをもらいながらピックアップや弦を揃え、最初の愛機を完成する事ができた。

○ロカビリーから離れられない?どこまでも続く巡り合わせ

それから僕らは1年くらいライヴ活動をして止まった。誰のせいでもない、他人同士が集まって同じ目的に向かう事、バンドの面白さと難しさを知りました。

これからどうしよう?そんな時にある店と出会います。

地元にあったバー"ROCK CLUB"でした。

バンド活動が出来なくなった僕は久しぶりに地元の友達と遊ぶ日々、最近ウッドベースって楽器をやってるんだと話すと、「それ小作の飲み屋で見たぞ。」とまさかの情報。あんな楽器が置いてる店が本当に地元にあるのから!?

その友達は店名も覚えてない、とりあえず小作の西口という情報だけを頼りにチャリで探しに行くと、あった。ガラスの小さな扉にダイヤのトランプのマークに"ROCK♢CLUB"。

ここだ!

扉を開けると、モヒカンとも何とも言えない刈り上げ頭と何とも言えないオーラを放つマスターが一見の僕らを「いらっしゃい!」と元気でブルージーな声で迎えてくれた。
それが後に僕を成長させてくれた"かっとさん"だった。

「やるかやらないか...。」バンドマンの在り方を教えてくれた恩師"かっとさん"と"ROCK♢CLUB"

ROCK♦︎CLUBは8人くらいのカウンター席とテーブル席が3つ。白黒、ウッドを基調とした小さな店内の一番奥、10cmほど上がる板がステージになっていました。マイク、ギター、ベース、ドラム、そしてウッドベース...本当にあった!

マスターかっとさんは初対面の僕に気さくに話をしてくれて、僕もウッドベースを弾いている事を話した。するとかっとさん突然ギターを取り、ステージの灯りを付け三曲歌ってくれた。

そう、これがROCK♦︎CLUBのスタイル。
ROCK♢CLUBはバーでありバンド。ギターヴォーカルのかっとさん中心に、お店スタッフや常連客がメンバーで成り立つ。

つまり、ライヴはその日居るメンバーで演奏し、お客さんが来たら3曲1ステージ演奏する。ミュージックチャージ等は一切取らない、バンドとしてもライヴバーとしても型にハマらない斬新なスタイルでした。

感動している僕に、かっとさんは「ベース弾いてみなよ。」とステージに上げさせてくれた。しかし、基本も無視してやっていた僕は、店のベースのチューニングすら合わせられず、店のレパートリーの譜面も読めない...。

結局何も弾けないままステージを降りた。

それから僕はROCK♦︎CLUBに通い詰め、平日週末問わずかっとさんのステージを毎週見た。ライヴでの振る舞い、お客さんを大切にする姿勢を見た。

ある日かっとさんに「今度ディナーショーでライヴするから、りょうくんベース弾いてみなよ。」と言われた。

僕は驚いて「僕が弾いていいんですか!?」と答えると、かっとさんは即こう答えた。
「やるか、やらないかだよ。」
その言葉が、今でも僕の人生において大事な言葉となりました。

出来るか出来ないかではなく、チャンスが降りてきたならやるべき。

失敗してもそれは経験となり今後へ繋げる。

かっとさんはその言葉の通り、どんな対バン相手だろうと知らない場所だろうとライヴをし、遠慮なく"ROCK♢CLUB"を発揮しお客さんを虜にしていました。

約6年間、かっとさんの横でベースを弾き続け、ロックンローラーとしての佇まい、ライヴでの心得や、共演者、主催者、スタッフへの振る舞い方など、僕のバンド人生で今も大切にしてる事のほとんどを、かっとさんは教えてくれました。

音楽的にも、ネオロカビリーから入った僕はオールディーズやロックンロールなど50年代のルーツを辿るきっかけにもなりました。沢山の出会いと経験を貰いました。

なにより不思議なのが、バンドが出来なくなったタイミングでかっとさんと出会ったこの巡り合わせ。
偶然なのか、僕の"心"が向かっていた方へ引き寄せられただけなのか...ロカビリーを止めるなと言われているような気がしました。

ROCK♢CLUBでの沢山の出会いから、いくつかのバンドを経て、Elle&The Two Wheelsというバンドへと繋がっていきます。

※こちらのバンドにつきましては、またあらためて記事に

僕個人の日記、もしくは作文のような内容になってしまいましたが、最後までお読みいただき有難うございました。
RYO NAKAYA

ELLE & THE TWO WHEELS
LYRICS